1972年(大学4年)の2月頃に作曲し、その年の4月にミュンヘン音楽大学学長来学の式典の際に愛知県立芸術大学奏楽堂にて宗みどりによって演奏された。その後改訂したものが1973年5月17日にヤマハ名古屋店7階ホールでの「グループ北斗第2回演奏会」にて高浦晶子によって演奏された。演奏時間は約6分。

作曲当時は、20世紀前半のシェーンベルクやベルクから、ブーレーズやシュトックハウゼンなどの西欧戦後世代の前衛音楽に関心が移りつつあった頃であった。ブーレーズのピアノソナタ第1番や第2番などを大学図書館にあったレコード夢中になって聴いた。もちろん大学の授業ではそうした音楽は教えてもらえないので、『音楽芸術』誌に載っていた柴田南雄などの論文を一生懸命読んでいた。

自由作曲の授業においては入学当初は自由な無調で作曲していたが、1年近く経ってからはもっぱら十二音技法で作曲するようになった。自由な無調では自分の感性が欲するままに音を並べていたら同じような臭いのする楽句ばかりが浮かんできたからだ。十二音技法で作曲するようになってからは、自身の感性が矯められていく思いがするようになった。たとえば音列に則って音をならべていくと、時々に感性的に納得できないような結果に遭遇することがある。そうした時に音列内の音高を変えるのではなくリズムや音強、音域をかえることで対処した。そうした対処が、結果として、音への感性を深めてくれたと思っている。

この作品も十二音技法による。この曲の音列は下記の通りである(図1)。

図1:原型

具体的音高と順列を無視すれば、音列前半の6音と後半の6音の構成は以下のようになる(図2)。

図2:グレイの枠が前半の6音、白の枠が後半の6音となる。

この音列は柴田南雄が『音楽の骸骨のはなし』(音楽之友社、1978)で指摘するように、12音音列を構成する前後半のそれぞれの6音音列(ヘクサコード)がそれ自身で(O)原型=(R)逆行型=(I)反転型=(IR)反転逆行型を形成するものである。柴田はその本の中において第48番目の音列として、第3群d種のひとつに分類している(pp.120-130)。さらにこの音列では隣り合う半音関係にある2音を連続させているので、音列を移置しても隣り合う半音関係はすべての形態において保たれる。このことは音列自体の多様性に制限がかけられていることになる。さらに同じ半音関係の2音が頻繁に出現することで統一性は保証されることになる。(図3)

図3:形態は異なっていても6音音列(ヘクサコード)が同一の音高によって成っている。また同じ半音関係の2音がわずか3種類に限定されている。

 

 

 

この曲は音感覚的には初期のブーレーズの影響を受けている。だから、シェーンベルクの十二音音楽のように古典的なモチーフ操作を思い起こさせるようなことはなるべく避け、総音列音楽のような音響テクスチャを創出することを目指した。線ではなく音響テクスチャとしての群を聴取の対象とする音楽を目指したのである。ただし音列は音高に関するものだけが設定されており、リズムや音強や音域、音域に関する音列は設定されていない。本来の総音列音楽とは異なり、音高以外の扱いは理論よりも感性に頼っている。その感性を制御するために古典的形式の図式(第1楽章:ソナタ形式、第2楽章:三部形式、第3楽章:ロンド形式)を利用した。あくまでも感性制御のための形式の図式にしか過ぎないので、聴き手はこれを理解する必要は一切ない。

 

譜例1:第1楽章冒頭

譜例2:第2楽章冒頭

譜例3:第3楽章冒頭

 

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