基本情報

《悲しみの島》弦楽四重奏のための音詩(→youtube)はCD「中村滋延弦楽四重奏曲集」(Fontec FOCD9497)収録のために2010年春に書き下ろしたものである。楽譜は(株)マザーアースより出版されている。→N1020FR 悲しみの島

ただしまったくの新作というわけではなく,2007年7月に作曲し11月に韓国の大邱での「東アジア現代音楽祭」で初演された《嘆きの歌(クラリネット,ヴァイオリン,チェロのための音詩)》を下敷きにあらたに作曲し直したものである。制作意図や主要モチーフ、基本的な構造は共通する。全体を全音階的音感が支配している。ただし機能和声による調性音楽ではなく、外見とは異なる新しい音楽に挑戦したつもりでいる。因襲的な音楽の作り方をしているつもりは毛頭ない。

CDのための演奏はクァルテット・エクセルシオによる素晴らしいものだった。残念ながら舞台ではまだ演奏されていない。舞台初演が待ち遠しい。

タイトル「悲しみの島」

21世紀以降に作曲された私の多くの作品と同様、この曲もインド起源の叙事詩「ラーマヤナ」からインスピレーションを得ている。

「悲しみの島」とはインド起源の叙事詩「ラーマヤナ」に描かれているランカ島(現在のスリランカと考えられている)のことである。ここに魔王ラーヴァナが王宮を構え,インド全土で略奪を繰り返しては多くの捕虜を奴隷とし,また多くの娘を拐かして側女や婢女として扱い,さらに主人公であるコーサラ国の王子ラーマの妻シータを誘拐して幽閉してしまった。その島にはそうした多くの悲しみがあふれかえっている。やがて魔王ラーヴァナはシータを救出に現れたラーマとその軍勢に打ち負かされて命を落としてしまう。戦闘の過程で,ラーヴァナは兄弟や息子たちを先に死なせることになり,ランカ島はラーヴァナ自身の悲しみが満ちた島にもなってしまう。

ラーマヤナはラーマの成長譚であると同時に、英雄譚でもある。ただし勝者のラーマに対してだけでなく、敗者のラーヴァナの悲しみや哀れにも目を注いでいるところに、南アジア・東南アジアの人々にラーマヤナが愛される理由があるように思う。

そうした様々な悲しみの情景がこの作品のインスピレーションになっている。ただしこの曲は筋書きを音楽で表現する標題音楽ではなく,悲しみの情景にインスパイヤされて作曲した絶対音楽である。人生は悲しみと深く結びついている。その悲しみを癒やすのは共感(共感し、共感されること)である。この曲において、私は共感としての悲しみを表現できればと思った。

ヘテロフォニーと核モチーフ

この曲の大部分はヘテロフォニーによる音楽である。ヘテロフォニーはモノフォニー(単声音楽)の変種である。複数の声部が同一の旋律を演奏しようとするのであるが、時間的及び音高的に相互にズレを伴なうため、瞬間的にポリフォニーが発生しているような音楽を意味する。

通常、へテロフォニーは演奏上の出来事なのであるが、この作品ではもちろん作曲時に意図的にズレをつくっている。時間的及び音高的な単純なズレだけでなく、ある一音を演奏する際の装飾を声部ごとに微妙に変えることによってもズレがつくられている。曲の冒頭に第1ヴァイオリンが演奏するのが装飾の原型であり、この曲の「核モチーフ」である(fig.1)。これが声部ごとに変奏され、それらの集合によってズレを構成する(fig.2)。この変奏は対象となる音を核音として、その核音に対してプラルトリラーやモルデント、ターン、複前打音やそれらの複合形や拡大形などによってなされる。


fig.1:ある音を核音(例ではd)として、半音上下の音程で揺れて核音に戻る


fig.2:核音dを4つの楽器がそれぞれの仕方で装飾することによってポリフォニーが現れる。

この核モチーフとそれによるヘテロフォニーがこの曲全体の統一性を保証する。多様性は部分によって核音の音高を変え、ヘテロフォニーの実相を変えることで保証される。

曲中、多様性を保証するために核モチーフが出現しない部分もあるが、そこにおいても音楽はヘテロフォニー的に展開される。(fig.3)


fig.3:駆け上がり駆け下りるという旋律線を全楽器が時間的及び音高のズレを伴って担当する

全体構成

演奏時間11分のこの曲は第一部から第六部までの6つの部分から成っている。部分ごとに速度を変え、調性を変え、拍子を変え、ヘテロフォニーの様相を変えているので変化に富んでいる。また部分の区分も、特に速度に違いによって明確に感じることが出来ると思う。古典的な形式には則ってはいないが、強いて言えば自由な変奏曲ということになろうか。第三部と第五部はほとんど同じ音楽内容であり、また第一部で提示された核モチーフが第六部で全奏によって再現されるところから、円環的な三部分形式として全体を把握することも可能だ。

調号を用いて記譜されていることからもわかるように、旋律線を調性的に把握することができる。その意味では聴きやすい。ただし和声的に音楽が作られている箇所はきわめてすくなく、大部分は機能和声的ではない。全体にわたって拍子記号を用いて書かれているが、周期的な拍子感を表すための拍子記号の部分と、アインザッツを整えるための仮の小節線による拍子記号の部分のふたつがある。

様々な悲しみの情景がこの作品のインスピレーションのもとになっていることを冒頭に述べたが、情景と音楽内容との関係を聴き手が特定することはできない。作曲を始めると情景は後退し、情景を描写することなど忘れて音楽を構成することだけに集中する。とはいうものの、それにこだわる必要がないことを前提に情景を説明する。第一部はランカ島に充満する囚われ人たちの悲しみ、特に女性の悲しみを、第二部は魔王ラーヴァナにさらわれたシータを想うラーマの悲しみを、第三部はシータに言い寄るが敢然と拒否されるラーヴァナの焦りを、第四部はラーヴァナの居城に幽閉されたシータの悲しみを、第五部はラーマの軍勢によって自分の軍勢が打ち破られ身内がどんどんと死んでいくラーヴァナの悲しみを、第六部はすべてを失ったラーヴァナの最後を、それぞれ情景として思い浮かべた。

第一部Moderato appassionato(曲冒頭から練習番号Eの前まで、0’00” – 2’21”)

核モチーフの装飾によるヘテロフォニー的なテクスチュアに満ちた部分であり,全楽器が明確な段落を感じさせることなく鳴り続け、一気に第2部まで進行する。拍子記号を用いて書かれているが周期的な拍子ではなくアインザッツを整えるためのである。

第2ヴァイオリンとヴィオラ(あるいはチェロとヴィオラ)の組み合わせによる特徴的なモチーフ(fig.4)が非周期間隔で何度も出現する。このモチーフはラーヴァナに忍び寄る悲劇を象徴する。このモチーフの登場を段落代わりに聴き手自らが音楽を分節することも出来る。


fig.4:「ラーヴァナに忍び寄る悲劇」のモチーフが2分間の間に非周期的に15回出現する。

核音は冒頭においてはD5であり、徐々にD4、D3に音域を下げかつ拡げていく。途中(開始後約1’40”、練習番号C)、この部分のクライマックスとして最高音D6に上りつめる。

ヘテロフォニーを成している装飾を取り去って旋律線の骨格を以下に示す(fig.5)。核モチーフの原型の出現箇所はそれを記している。旋律線以外に低音域でト短調の属音d(核音)や主音g、属調の属音aが断続的に鳴る。これらの音はポリフォニックなテクスチャを調性的音感で支えまとめるためのものである。


fig.5:第1部の旋律線の骨格

第二部Lento espressivo(練習番号Eから練習番号Hの前まで、2’21” – 4’41”)

全楽器によるヘテロフォニーから一転して持続音と独奏による旋律との組み合わせによる声部構造が中心になる。ヘテロフォニーとしてはもっとも単純なものである。持続音を伴うことで、旋律の動きが対比的に浮き上がって聞こえる。(fig.6)

拍子記号を用いて書かれているが周期的な拍子ではなく、アインザッツを整えるためと、旋律のフレーズ頭を明確に示すためである。

第1部では核モチーフが音階の第5音だけを核音としていたのに対し、この部分では音階の第6音であったり、第1音であったりして変化を見せる。


fig.6:チェロの独奏が持続音による「影」を背景に現れる。ここでは第6音を核音とする

第三部Allegro molto con furore(練習番号Hから練習場号Oの前まで、4’41” – 6’25”)

一転して核モチーフから逸脱し、con ferore(憤激して)の表情記号がついている駆け上がり駆け下る分散和音的音型によるヘテロフォニーによる部分である(前出fig.3)。拍子も周期的な四拍子で、拍節感が強い。それらの点で前の2つの部分と明確に対照をなす。

後半ではヘテロフォニックな音楽から逸脱し、旋律と伴奏音型の組み合わせによる単純な構造のホモフォニックな箇所が目立つようになる。ヘテロフォニーを逸脱することで、聴き手の狎れを防ぐようにしている。

第四部Andante doroloso(練習番号Oから練習番号Tの前まで、6’25” – 8’55”)

ここでは核モチーフが周期的に反復される(fig.7)。この周期的という側面が、核モチーフを用いた第1部と第2部との差異を強調する。他声部による核モチーフの変奏も装飾を変化させつつ周期的に反復される。さらには周期的反復であることを強調するために核モチーフとは縁のない音型も現れる(fig.7:下段のチェロパートのピッチカートによる音型)。当然のことながら拍子は明確に周期的である。


fig.7:核モチーフ及びその変型が周期的現れる。

第五部Allegro molto con furore(練習番号Tから練習場号Xの前まで、8’55” – 9’55”)

基本的には第3部の再現であるが、後半は第6部を導くために第3部からは大きく変化している。

第六部Lento drammatico(練習番号Xから最後まで、9’55” – 11’02”)

核モチーフがこれまでのヘテロフォニーからここでは一転してモノフォニー、つまりユニゾンの大音量で歌い上げられる(fig.8)。この曲の冒頭の変奏された再現である。ここでは円環状に核モチーフを再現することで、因果応報を象徴した。

fig.8:全楽器がユニゾンによって核モチーフの原型・変型が強奏で歌い上げる。