「音楽季報」 中村滋延
西日本新聞2016年4月18日朝刊文化欄

福岡市はこの2月に福岡市拠点文化施設基本計画案を公表した。これは2012年3月に策定された福岡市拠点文化施設基本構想を受けて、建替え期を迎えた福岡市民会館を継承する施設が須崎公園地区(天神エリアと博多ふ頭との中間)に建設される案である。施設は2000席規模の大ホールや800席規模の中ホールなどから成る。2023年春の開館を目指している。
基本構想には福岡市なりの文化芸術創成の理念がしっかりと盛り込まれていたが、基本計画案にはそれについての言及はほとんどない。「仏を作って魂入れず」にならないためにも、それらの施設で何をするかについての実行ビジョンを前向きに語ってほしい。加えてそれについての市民の声を直接聴く機会をつくってほしい。福岡市は福岡市文化芸術振興財団の活動を通じて市民の文化芸術創成を直接支援してきた実績を持つ。近年、財団は支援活動についての報告会を実施することによって、市からの助成金、すなわち税金をどのように文化芸術振興に活かすかに思い巡らすことが出来る市民を育てている。
計画中の福岡市拠点文化施設の中心が2000席規模の大ホールとすると、競合するのが1800席規模のアクロス福岡シンフォニーホールである。この競合が相殺ではなく相乗効果をもたらすことを期待したい。
アクロス福岡シンフォニーホールは都心にあるという立地環境を活かし、内外の交響楽団や著名演奏家によるコンサートが目白押しである。その中のいくつかはすぐにチケットが完売になる。今年になって筆者自身もチケットが取れなくて聴く機会を逸したコンサートがいくつかあった。シンフォニーホールで聴くことができたのは5つばかりであった。
2月6日の九州交響楽団第347回定期演奏会はレオンカヴァッロ作曲の歌劇「道化師」(演奏会形式)を中心としたプログラムで、イタリアの若手実力者アンドレア・バッティストーニが指揮した。まだ20代の若さだが、メリハリをきかせた音楽的持続を作り上げる力は天才的で、まさにトスカニーニの再来。筆者はオペラの演奏会形式上演に反対の立場だが、今回は福井敬をはじめとする歌手陣の素晴らしい出来も相俟って、演奏会形式であることを忘れてしまうほどに聴き入った。しかしオペラは舞台あってのもの。アクロス福岡も制作に加わった舞台上演形式としての再演を、出来れば複数回上演で望みたい。それはより多くの市民にオペラの魅力を理解してもらう絶好の機会となろう。
2月25日のシュターツカペレ・ベルリンのコンサートはダーヴィト・アフカムの指揮による。この楽団は旧東ベルリンにあるベルリン国立歌劇場の付属管弦楽団。ベルリンフィルに対抗する実力があるが、オペラに重点を置いているせいか、日本ではさほど馴染みがない。今回は音楽監督のバレンボイムが指揮しなかったこともあってか、空席が目についた。モーツァルト作曲の「オーボエ、クラリネット、ファゴットと管弦楽のための協奏交響曲変ホ長調K.297b」が首席奏者たちをソリストにして演奏されたが、これを聴くとこの管弦楽団のレベルの高さが分かる。アフカムはまだ30代前半の若手で、なんとなくオーケストラに遠慮しているような雰囲気があったが、ブラームスの交響曲第二番は風格・伝統を感じさせる聴き応えある名演。このコンサートがむしろ満員であるべきだったとさえ思った。
3月1日のSINSKE & 三村奈々恵「マリンバデュオ・コンサート」はアクロス・ランチタイム・コンサートvol.49として行われた。海外でも活躍するSINSKEと三村の超絶技巧による演奏は聴き手をまったく飽きさせない。筆者はこれまで昼休みにコンサートに行くことが時間的に困難であり、このコンサートシリーズは今回が初体験。昼食時にもかかわらず会場が満員だったのには驚いた。演奏者の知名度の高さによるのだろうが、やはり立地環境が大きく物を言っている。
コンサートに出かけるという行為は、それに付随する様々なものによって促進もされ、阻害もされる。コンサート後に近くで一杯やりながらその夜の演奏を振り返るというたのしみもアクロス福岡ならでは。さらに入場から施設内の移動までの間に階段が少なければ、老齢者にはもっとたのしめるところになるだろう。
中村滋延(作曲家、九州大学名誉教授)