山口情報芸術センター(YCAM)が今年の11月で開館10年を迎える。YCAMは展示スペース、劇場、ミニシアター、中央図書館を併設する市営の複合文化施設。その特徴は、既存の作品紹介だけではなく、メディアテクノロジーを活用した芸術表現創造を目指してオリジナル作品を制作・発信していることにある。そのために海外からも芸術家を積極的に招聘している。
 その10周年記念イベントの一環として上演されたハイナー・ゲッベルス《シュティフターズ・ディンゲ》(7月14日、YCAM・スタジオA)を聴いた。
 ゲッベルスはドイツの音楽家・演出家であり、「ミュージック・シアター」を中心とした制作・上演活動を行っている。ミュージック・シアターは演劇的要素を取り入れた音楽作品のことであり、舞台上の人物の動きや舞台美術、照明、映像、テキストなどの様々な要素が音と融合して形成される。《シュティフターズ・ディンゲ》の場合はさらにメディアテクノロジーが加わる。
 作品タイトルにおけるシュティフターとは精緻な自然描写で知られる19世紀のドイツロマン派の作家のことである。この作品では、シュティフターの読者が思索の森に足を踏み入れ、事物のささやきに耳を澄まし、細部に目を凝らすのと同様の体験を可能にする環境が、音楽作品として提示される。
 舞台前方には巨大な池が、舞台後方には5台の自動演奏ピアノを取り込んだ森が設置されている。池の水は波立ち、変色し、さらに霧を発生させる。森はピアノを鳴らしながら聴衆に向かって前進してくる。テキストは空中に文字として浮かび、ラジオ放送の断片としても音声化される。人物は一人も登場しないが、見聴きするすべてがまるで自然の事物となって語りかけてくる。メディアテクノロジーを駆使しながら、むしろ自然のエッセンスのようなものが逆説的に現出していて、聴衆を思索の世界に導く。
 今回の上演はこれまででもっとも技術的完成度の高いものであったことをゲッベルス自身が語っていたが、これはYCAMスタッフの芸術創造活動への意気込みの一端を伝えるエピソードである。
 ところで「地方」は芸術創造活動においてはきわめて不利な条件である。その不利を超越してYCAMはユニークで質の高い芸術創造活動を継続し、日本国内のみならず、世界の芸術関係者たちの注目を集めている。その存在感は強烈。今回、10周年ということもあり、市内にYMACの幟が立てられ、商店街には出張展示場所も設けられ、山口市もアートツーリズムの一環としてYCAMを政策的にとらえようとしている。いずれにせよYCAMの活動は地方における芸術創造の可能性に関する示唆に満ちたものなので、あえてここに紹介した。
 地方における芸術創造活動として次に紹介したいのは鹿児島における事例である。以前にもこの欄で少し紹介したが、鹿児島在住の音楽家は現代作品の上演機会創出に非常に意欲的である。数ある事例の中から私が実際に足を運んだ例として「FLUTE AND OBOE VOL.7 現代のコンサート」(9月12日、サンエールかごしま)を取り上げる。これはフルートの浅生典子とオーボエの片倉聖を中心にしたコンサート。そこで鹿児島ゆかりの作曲家の作品4曲を含む現代曲7曲が演奏された。いずれも聴き応えがあった。中でも田口和行作曲《虹蛇(フルートとオーボエ、ピアノのための)》はそれぞれの楽器の魅力を存分に引き出し、現代音楽的でありながらクラシックになじんだ耳をも惹きつける稀有な作品。
 田口和行は最近メキメキと頭角を現してきた30歳を超えたばかりの作曲家。東京や関西の演奏家からの支持もあつく、今年に入ってからすでに10曲以上の作曲委嘱を受けている。鹿屋市在住という地方のハンディをインターネットの活用によって克服し、ブログやSNSを通して自身の作品情報や活動状況を積極的に公開・発言し、音楽文化コミュニティをつくっている。演奏会企画運営にも積極的で、地方における芸術創造活動の新たなモデルを今後つくりそうな予感を与えてくれる。
(なかむら・しげのぶ=作曲家・九州大学大学院教授)