今(2010年頃)から12~13年前,前の勤務校で馘首になりかけました。冤罪によるものです。学長室に呼び出され,そこで同僚一人一人から糾弾されました。何かを守るために私が邪魔だったのでしょう。馘首されたら徹底的に戦う覚悟でした。その覚悟に恐れをなしたのか大学側は馘首にしませんでした。
しかしその時から授業も持たせてもらえず,会議にもほとんど呼ばれませんでした。しかし追い込まれると神経が研ぎ澄まされます。そして時間があったために(授業も会議からも外されていたために),その後,創作・研究に非常に集中,没頭できました。
私立大学の中でもオーナーとしての理事長の権限の強い大学は,理事長の逆鱗に触れるとあっと言う間に教職員の立場・待遇が変わります。それまでは,私は図書館長を任されたり,新学科の計画策定などを任されていたのです。新図書館プランに理事長の逆鱗に触れることがあったのでしょう。民主的な運営プランを盛り込みましたから。結果,図書館長を解任されました。それはともかく,驚いたのは,新学科計画が公的に発表されたとき,私が策定した案にもかかわらず,私の名前が消えていたことでした。そこで人事委員会に再考を求める文書を送りました。そのことがさらに理事長を刺激したようです。
そして,もうひとつ別の事情がありました。当時の副学長が非常にかわいがっていた(?)女性の助手が同じ学科におり,その彼女の行状が目にあまり(授業も学務業務もしない、学生にも種々の迷惑をかけていたので),彼女のことを事務局に相談していたのです。そのことに個人的に危機感を持った副学長が私を追い出そうとして,私への嫌がらせとして新学科計画から私の名前を削ったのです(つまりそのかわいがっていた助手の不行跡を私の目から隠すように,同じ学科で私を働かせないようしたのです)。また人事委員会へ私が出した文書を逆手に取り,彼の教え子であった私の同僚一人一人に私の「非」を訴えさせたのです。その「非」は感情的で個人的なことばかりです。「中村は会議の時に机を叩いた」(夢中になって議論をしていて机を思わず叩いた)とか「合評会での発言を止められた」(進行を担当していたので時間超過を注意した)とか,要は,私のことを同僚としては一緒に仕事ができないパーソナリティの持ち主であるとくり返し主張したのです。
加えて,私の業績についてケチをつけ始めましたね。作曲家が年に何度も自分の作品だけによるコンサートが開催できるわけないし,普通のオーケストラが現代作曲家の作品を度々取り上げるわけがない。ポップスじゃないんだから,CDが頻繁に出て,オリコン上位であるはずがない。でもそうなっていないことが,私が業績を上げていない証拠だというのです。もうバカらしくて反論する気さえ失せましたね。
実は,馘首されたら徹底的に戦う覚悟を決めるまでの間は,本当に大変なストレスでした。それなりに一生懸命やってきたことが何も評価されないばかりか,もし馘首されたら家族をどう養っていったらよいのだろうという不安が本当に重くのしかかってきました。
その後,2001年に国立九州芸工大(現在九州大学大学院芸術工学研究院)での教員として公募採用されました。私を追い出そうとした当時の副学長は元九州芸工大教授,私を糾弾した同僚の何人かは九州芸工大での彼の教え子でした。九州芸工大に私の採用が決まった時に,私の友人が言いました「皮肉だねえ,あんたを追い出そうとした連中のバックボーンであった大学にあんたが着任するんだから」
まさに「人を呪わば穴二つ」です。