大学教員として生活を始めてから約30年。
これまで専任教員として4つの大学短大に勤務した。
勤め人としての大学教員の特徴は,仕事の対象相手の年齢がいつもほとんど同
じであるということだ。こちらはどんどんと歳を取るわけだから,付き合う相
手との年齢差は広がるのみだ。
大学によって多少学生の気質に違いはあるが,時代によって学生気質に差があ
ると感じたことはこれまでほとんどない。知人からはよく「最近の学生は‥‥」
という愚痴を聞く。鈍感なのか,私はあまりそうしたことを感じることはない。
自分の学生時代と少しも変わっていないとさえ思っている。だから,すべて自
分の尺度で,学生を理解し,付き合っている。ただしこの尺度は私の加齢とと
もに多少変化はしているが……。
授業をサボる学生や平気で遅刻する学生がいる,教師にえらそうに喰ってかか
る学生がいる,教師をバカにする学生がいる……,これらすべて,私自身もそ
うであったことだ。学生時代,私もサボり,遅刻し,教師に食ってかかり,教
師をバカにしていた。ただし,今,私はそれに類することをすることはない。
当たり前の話しだが,学生の頃と同じことをやっていたのでは,周囲の怒りを
買ってしまい,信用を失い,人の助けも期待できなくなり,何よりも職を失う,
つまり喰っていけなくなる。だから今の私はそんなことはしない。今の快適生
活を失いたくはないし,より快適に生活したい。そのためにやってはいけない
ことをやらない,それだけのことだ。(そのやってはいけないことをまったく
しないわけではなく,時々うっかりやってしまい,反省の日々を送ることも多
い。)
学生は周囲の怒りを買っても,信用を失っても,人の助けを期待しなくても,
職を失っても,喰えないことはない。扶養されることで生きていける。ただし
それは学生が学生であるからだ。彼/彼女が学生でなくなった時点で,生きて
いけなくなる。
だから何も心配ない。学生でなくなった時点でなんとかやっていくだろう。教
師としては「うまく」やってくれるように学生を育てることが勤めだが,20年
近くその教師と無関係に育ってきた人間を,わずかな期間でうまく育てられる
と考えるのは「思い上がり」。
ただ,教師としての勤めを果たす上で,学生に対して「これだけはやってはい
けないことだ」と思うことはある。そうした場合,条理を尽くして語るしかな
い。それの積み重ね。条理を尽くして語る場合,学生はけっこう教師を観察し
ているので,本当に条理を尽くすのなら,教師自身の問題も自らきちんと総括
してから始めるしかないだろう。