2月20日,アクロス福岡円形ホールでアクロス円形工房Vol.18「Acousmatic Music – Speaker Orchestra」を聞いた。Acousmatic Musicとはステレオや4チャンネルの電子音響音楽を20以上のスピーカーからマルチチャンネルで鳴らすもので,特徴は鳴らし方のライブによるミキサー操作にある。その操作は「演奏」とも言うべきもので,優れた操作者はまるでヴィオルティオーゾ演奏家のようである。
 音楽の素材は具体音やその電子的加工音,電子音,録音された楽器音などである。その昔,1950年前後から放送局の実験スタジオで作られ始めた頃は,磁気テープに録音するところから,ダビングしながら音を加工したり,テープを切り貼りしたり,さらに複数のテープをミックスして1本のテープにまとめるまで,大変な手間をかけて作られていた,しかし現在ではパソコンを用いると非常に手軽に作れてしまう。コンサート前に出演者たちが聴衆の提示する音を録音してそれを用いてインスタントに音楽をつくるデモンストレーションを行っていたが,まさにお手軽なのである。
 しかし,いみじくも有料のコンサートで作品として上演する限り,お手軽に作ったものを提示してもらっては困る。まして,その音楽は聴き慣れない具体音やその電子的加工音,電子音などによるもので,おまけに見る要素がないから,私のように電子音響音楽に専門的に携わった経験のある者でも,理解できないことがままある。「理解できない」というのは,つまり,おもしろくないのである。
 作品は吉原太郎《灰色の海》,石上和也《都市の中で2011》,泉川獅道《侘寂之庭 風》,成田和子《電子空間の鳥》の4曲が,それぞれ作曲者のミキサー操作によって上演された。いずれも“現代音楽”風である。この“現代音楽”風というのは,西洋芸術音楽(いわゆるクラシック音楽)系列上の現在進行形,つまりハイアートとして電子音響音楽をとらえて作曲している様子が窺える。
 私は,これまで自身の経験(制作者として,聴衆として,企画者としての経験)を通して,電子音響音楽を以下の4つのタイプに分けて捉えている。
 1つ目は,“現代音楽”風電子音響音楽で,構成重視の音楽である。純粋に「音による構成美」を追究している。その分,聴取に非常に集中を要する。聴衆の多くにとっては「聴きづらい」音楽である。
 2つめはラジオドラマ的電子音響音楽である。多くの場合,音は“現代音楽”風電子音響音楽であるが,単独または複数のテキストの語りを伴っていて,その分,語りを追っかけることで「聴きやすい」音楽となることが多い。
 3つめは映像を伴う“現代音楽”風電子音響音楽である。この場合は,映像によって音が時間軸上で関係づけられ,音楽として把握しやすくなり,また聴覚表象に加えて視覚表象があることで自ずと集中して鑑賞できる。ただし,その集中が必ずしも「集中聴取」を保証するわけではない。
 4つめは電子音響の物質性を活かした音楽で,そこでは音楽よりも電子音響そのものを聴かすことに主眼が置かれたり,またそういうことが可能な環境をインスタレーション作品として提示したりする。このタイプの音楽を作っている人たちには,クラシック音楽や“現代音楽”のバックグラウンドを持っていない者が多い。作品も現代美術館などで披露されることが多かったりする。
 この日の4人の作曲家の作品は1つめのタイプに属するとしか考えられないのであるが,構成重視の音楽であり,純粋の音による構成美を追究しているようには私には思えなかった。コンサート前のデモンストレーションのようにインスタントに作られた音楽であったとは信じたくはないのであるが。