「クァルテット・エクセルシオ」の福岡公演を聴いた(12月18日,西南学院大学チャペル)。日本では非常に数の少ない常設の弦楽四重奏団であり,1994年の結成以来,数々の受賞歴を誇り,年間60公演以上をこなし,多くの現代曲の初演を行い,今や日本を代表する存在である。そのレパートリーはハイドン,モーツァルトの古典から現代曲まで幅広い。通(つう)にはきわめて魅力があるものの,派手さの点で一般受けしない編成のためか,エクセルシオの存在が充分に知られていないのはまことに残念。
この日の公演でエクセルシオがその魅力を十分に発揮したのが,G.リゲティ《弦楽四重奏曲第1番「夜の変容」》である。1953年から54年にかけて作曲された彼のハンガリー時代の作品で,後のリゲティを特徴づける様式となるマイクロポリフォニーの萌芽のような部分も散見できるが,むしろ同じハンガリーの作曲家バルトークの影響が顕著であり,表情が非常に起伏に富んでいる。エクセルシオはそうした特徴をしっかりとらえ,共感と自信に満ちた演奏を行い,聴く者をまったく飽きさせなかった。現代曲であるにもかかわらず演奏後の大きな賞賛の拍手はそのことを物語っていた。
その後のF.シューベルト《弦楽四重奏曲第14番ニ短調「死と乙女」》はさらに圧巻であった。この作品は長大である。しかしエクセルシオの演奏は時間の長さを感じさせない。その理由のひとつは音楽的持続を絶やさないからである。それは音楽進行の首尾一貫を意識することから生まれる。例えば曲中のゲネラル・パウゼ(全休)は次への期待を感じさせる重要な間(ま)である。エクセルシオは,それを単なる無音や中断としてではなく,音楽進行の首尾一貫の中で表現した。理由のもうひとつは細部にまで目配りのある多様な音楽的表情を現出するからである。たとえ絶対音楽であっても聴き手は音楽が鳴り響く瞬間ごとのイメージの飛翔をたのしみたい。エクセルシオはまさにその飛翔を触発してくれた。
そのエクセルシオのせっかくの福岡公演,もっと多くの聴衆に来てほしかった。
弦楽四重奏団にくらべて著名外国人ピアニストのリサイタルは多くの聴衆が詰めかける。アリス=紗良・オットのピアノリサイタル(1月17日,アクロス福岡)はほぼ満席の盛況。たしかに,彼女が素直な音楽性と豊かなピアノ技巧を持つことはよく理解できた。ただこの夜の筆者の席がシンフォニーホール2階の5列目で,残響に較べてピアノの打鍵時の音が十分に聞こえず,彼女の演奏をたのしむところまではいかなかった。なお,その翌日の18日には同じホールで《第16回ショパン国際ピアノ・コンクール入賞者ガラ・コンサート》を聴いたが,席が1階中央より少し前のところ(16列)だったせいか,ピアノの打鍵時の音がいずれのピアニストの場合も明瞭に聞こえたから,大きなホールでのピアノリサイタルでの席選びの重要性をあらためて感じることになった。