2010年1月24日(日),西南学院大学チャペルにおいて,『安積道也パイプオルガンコンサート』を聴いた。
西南学院大学は2年前あたりから学内施設を用いて積極的に音楽イベントを展開するようになり,福岡の音楽文化創成の重要な地位を占めつつある。都心にある文系大学としての役割をしっかりと果たしている。そうした中でさらに「音楽主事」という職種を設けた。今回のコンサートはそこに就任した安積道也の披露演奏会である。
安積道也はドイツの音楽大学でオルガンや,教会音楽,指揮などを学び,ドイツ国家資格A級教会音楽家(カントール)を取得し,ヨーロッパの様々な音楽祭で指揮者やオルガニストとして演奏活動を行ってきた。昨年4月から西南学院音楽主事をしている。
日本のクラシック音楽関係者やそのファンにとって,欧米とのもっとも大きな差は,日本ではオルガン音楽を聴くことが出来ないということである。CDやDVDで聴けるではないかという人がいるかも知れないが,オルガン文化のない日本ではその種のCDやDVDに関する情報が圧倒的に少ない。オルガン文化がないというのは日本にはキリスト教文化がないからで,これはもう如何ともしがたい。クラシック音楽を支える重要な柱であるキリスト教が欠けているという事実を,日本のクラシック音楽関係者はいつもどこか頭の片隅に置いておく必要はある。
そうした状況の中で,西南学院大学が,これからオルガン音楽を聴く機会を与えてくれるというのは,まことにありがたい。
西南学院大学チャペルのオルガンは17~18世紀オランダ・ドイツバロック様式のもので,バッハが生きていた時代のオルガン様式である。そのオルガンは外見も,その音も,変な威圧感がまったくない。暖かみがあり,その音色は非常に色彩感に富んでいる。もっとも,色彩感に富んでいるのはオルガン自体の機能によるだけでなく,安積のストップ操作の巧みさにもよっている。J.S.バッハの演奏(〈目覚めよと呼ぶ声がする〉《シュープラ―・コラール集》より,《トッカータとフーガニ短調》《小フーガト短調》など)では,バッハのオルガン音楽に対する先入観を改めさせるほど,色彩感に富み,よい意味で軽やかなものであった。
そのJ.S.バッハを含め,今回の演奏曲目はいずれもドイツのオルガン音楽で,17世紀から20世紀まで,ドイツのオルガン音楽史を同時に教示してくれるかのようなプログラム構成であった。これはオルガン音楽を耳にする機会の少ない者(つまり一般の日本人)にとってはありがたいものであった。その時代それぞれの特徴あるオルガン音楽を,安積は見事に弾き分けていた。
C.Ph.E.バッハの《オルガンソナタニ長調》では,父親のJ.S.バッハとは対照的な音楽のモダン性を,音色の選択とその対比のさせ方によって,際立たせていた。
20世紀の作曲家H.ディストラー《小オルガンのための30の小曲集》では,今日のシンセサイザーの祖としてオルガンの一面を強調し,オルガンには現代の音楽創作を行う余剰が豊富にあることを示した。
圧巻はメンデルスゾーンの《オルガンソナタ第1番》であった。ドイツロマン派のオルガン音楽というのは日本ではあまり紹介されることがない。発音機構が人間の肉体と直接的に結び付いていないがゆえに,オルガンとロマン派的表現とはあまり縁のないように私自身も思っていた。しかし,それは結局演奏者に帰する問題で,安積はロマン派的表現を,特にそのストップ操作による音色選択の妙によって,見事に引き出していた。
素晴らしいオルガン奏者を擁することになった西南学院大学には,今後も福岡九州の人々のために,オルガン音楽のすばらしさを体験させる機会を積極的に提供していただきたくことを切望する。
最後に,作曲家としての私は,あらためて,オルガンのために新曲を作曲してみたくなった。