2010年1月19日,宗像ユリックスのハーモニーホールでフィルハーモニア・カルテット・ベルリンの演奏を聴いた。
メンバーはベルリン・フィル主席奏者たちである。曲目はハイドンの弦楽四重奏曲第77番ハ長調《皇帝》Op76-3,モーツァルトの弦楽四重奏曲第15番ニ短調KV421,ブラームスの弦楽四重奏曲第3番変ロ長調Op67,アンコールにシューベルトの弦楽四重奏曲イ短調《ロザムンデ》の第2楽章,滝廉太郎《荒城の月》をモチーフにした幻想曲(編曲者不詳)というものである。
 演奏はひとことで言ってしまえば「誠実」そのもの。そして「うまい」。
 この日,私は大変疲れていたので,実は1曲目のハイドンの演奏時は眠くて,あまり集中して聴いていない。しかし,それでも第2主題の後半が同主短調に転調するところなどの色彩変化の仕方は抜群にうまく,調性音楽の長所にあらためて気付かせてくれ,徐々に眠気を吹き飛ばしていってくれた。
 モーツァルトのニ短調の第1楽章は,最初の主題が地味な音域で始まるため(つまり音域的に音があまりはっきり聞こえてこないため),ちょっとノリに欠けるところがあったが,第2楽章以降はリズム的な特徴を強調しながら(かと言って演奏の誠実ぶりは音楽を崩すことはまったくなく),各声部のバランスをしっかり保ち(つまり各声部がそれぞれにしっかりと聴き分けられ),豊かな響き繰り広げ,音楽そのものの美しさを堪能させてくれた。
 彼らの演奏の特徴をもっとも端的に示していたのがブラームス《弦楽四重奏曲第3番変ロ長調Op67》である。この曲は表情の変化に富んでいる。素材も実に多様で一見雑多でさえある。拍子の変化も頻繁に起こる。メンバーたちはそうした変化をその都度丹念に弾き分けていく。細部の強弱変化もないがしろにしない。さほど重要なモチーフと思われないような十六分音符の音階進行音型さえも丁寧に表現する。これによって表情の変化ひとつひとつが感覚的にじつに面白くなる。当然のことながら様々な情念も呼び起こされてくる。
 こうした表情の変化ひとつひとつを首尾一貫した時間の中でとらえるのが精神性に関わるもので,本来は調性がそれを助ける。しかしブラームスのこの曲における調性は怠惰な耳には親切ではない。下手な演奏をされると,この曲はバラバラの印象のままで終わってしまう。フィルハーモニア・カルテット・ベルリンの演奏は表情の変化ひとつひとつを感覚的に面白くしてくれたため,耳が非常に活性化することとなった。活性化した耳は表情の変化を首尾一貫した時間の中でとらえることを可能にしたのである。
 なお,特筆しておきたいのは,ヴィオラ奏者のナイトハルト・レーザの演奏のうまさである。第3楽章はビオラ協奏曲と見紛うばかりの曲想で,ビオラが延々と3拍子の主旋律を引き続けるが,その音が非常に美しく,表情が豊かなのである。全体のバランスを崩すことなく,ビオラが品よく目立っていた。
 宗像ユリックスのハーモニーホールはクラシック音楽をじっくり聴くのにもってこいの大きさである。例えばアクロス福岡は室内楽やソロ楽器のコンサートには大きすぎるし,1階は舞台と同じ高さに客席があるようで,演奏者を見上げることになってしまいやや圧迫感がある。その点,ハーモニーホールは自然な目線で舞台を見おろすことで,音楽に自ずと集中できるようになっていた。