博多座で文楽を見る(12月23日,夜の部)。演目は『義経千本桜』から「道行初音旅」「河連法眼館の段」,『新版歌祭文』から「野崎村の段」である。
文楽を見るのは何年ぶりだろう。おそらく30年ぶりくらい。日本の伝統芸能と言いながら,実際にはほとんど縁がない。外国からの視線のためにだけに保持している伝統なのかも知れない,などと思いながら見に行った。
休憩も含めて4時間ほど,けっこう熱中して見入ってしまった。感情表現の振幅の大きさに圧倒された。一旦太夫の表現の型にはまってしまうと,その勢いに抵抗も出来ずにひっぱられてしまう。それが結構気持がよい。義太夫はちょっとした気持の変化を,まさに針小棒大に表現する。それも押したり引いたりしながら。そのタイミングは絶妙。そしてその気持の変化がわずかに遅れて人形の動きで表現される。義太夫で喚起された気持の高まりが人形の動きで念を押されるような感じである。鎖国の江戸時代,内向きの感情ばかりを注視していた時代の,ちょっとエキセントリックな表現様式の舞台芸術である。まあ,そのエキセントリックなところがよいのであるが。
素人的意見としては,太夫は若手の方がよい。ベテランの方がうまいのはよく分かる。しかし,声は若手の太夫が圧倒的にきれいだ。若い女性の役はやはり若い太夫の声がリアリティがある。オペラでも声そのものが優先される。声の芸術は,やはりどこか身体的生理的訴えるところがあるはずなので,技術だけでは難しいように感じた。(これはあくまでも素人の意見である。もっと別の味わい方があるのかも知れない。)