第19回アジアフォーカス福岡国際映画祭で,ベトナム映画「きのう,平和の夢を見た」(監督ダン・ニャット・ミン)を見た。

ベトナム戦争に題材をとった映画で,ベトコンの野戦病院で働いていた若い女医トゥイと,その女医の日記を発見した米兵フレッドが物語の中心人物である。実話である。米兵フレッドは戦場の焼け跡で偶然手に入れた若い女医の日記を,戦後35年経ってトゥイの遺族に返す。その日記が語るベトナム戦争の悲惨さと,そこに医師として野戦病院で自分を犠牲にしていきるトゥイの姿が描かれる。当然のことながら,胸を締めつけるような悲しいエピソードの連続である。上映会場はすすり泣きに溢れていた。

ただ,見ていて違和感を覚えたのが,アメリカ及びアメリカ兵たちの描き方における「寛大さ」である。フレッドはベトナムでの体験が心の傷にはなっているものの,それはそれほど重要な要素としては描かれてはいない。フレッドの姪(母親はベトナム人)が,米兵としてイラクに出征する前にフレッドに別れを告げに来るシーンで,フレッドは「銃の引き金を引くな」と言うだけである。ここには,アメリカがベトナムでやったことの繰り返しを,今またイラクで行おうとしているという視線が欠落しているように思われた。ベトナム戦争が何が原因でなされたのかという思考がほとんど感じられない。戦争の悲しさは伝わるが,根本的な反戦へのメッセージはほとんど伝わらない。

じつは,この映画がはじまった直後から,「悲しさ」描写に力点が置かれている映画(はっきり言えば「お涙ちょうだい映画」)であることを察してしまった。それは過剰な音楽の使い方である。劇的悲劇的様相を帯びた音楽がこれでもかと最初から間断なく鳴らされる。特定の感情の押しつけによる思考停止の危険性を感じたのである。