2008年10月3日(金)アクロス福岡シンフォニーホールで西日本オペラ協会「コンセール・ピエール」公演、モーツァルト作曲《コシ・ファン・トゥッテ》を聴いた。管弦楽はフォルカー・レニッケ指揮の九州交響楽である。演出は松本重孝。

このオペラはモーツァルト後期オペラの傑作の一つで、1790年という作曲年はちょうど1787年の《ドン・ジョバンニ》と1791年の《魔笛》の間にあたる。いずれにせよ、モーツァルト晩年の傑作群を代表する作品である。

ただし他の後期の傑作オペラに比べると筋書きの面で劇的な変化に欠け、また恋人の貞節を確かめるという他愛もない話しのためか、どうも日本では人気がないようだ。ただし音楽面では聴き応えのある重唱が多く、独唱も含めて「うた」の美しさや親しみやさでは群を抜いている。

今回の公演では過剰な演劇性を押さえて、重唱を中心にまさに歌の美しさを前面に出すように工夫していた。つまり、表面的に演劇的要素を目立たせることよりも、歌を聴かせることに力点を置いていたように感じられたのである。かと言って、舞台装置(大沢佐智子)はけっして手を抜いているわけではなく、象徴的な造形を多用して、それが「目」をも十分にたのしませてくれるようになっていた。例えば天井からぶら下げられた布で大木を表したり、ゆがんだ四辺形を床に描くことで空間の広さを表したり、目立たぬが細かい心遣いを感じさせる造形感覚にあふれていた。

この舞台装置の前で抜群の存在感を示したのが第一幕ではデスピーナを演じた林麻耶である。彼女の普段の歌声はどちらかと言えばミュージカル向きのようなところがあるが、今回はその声がぴたりとはまっていた。ほんとうにかわいいデスピーナがそこにいた。第二幕ではフィオルディリージを演じた吉田由季であり、グリエルもを演じた原尚志である。吉田のフィオルディリージは複雑な感情を自然なものとして感じさせるように表現し、声をみごとにコントロールしていた。原は豊かな声量で声の魅力そのものを存分に放射していた。

第一幕第二幕を通して出演していたアルフォンソを演じた久世安俊は、人のよい、やや軽めの性格のアルフォンソを演じていたが、それが彼の持ち味なのだろう。賛否両論あるところだが、西日本オペラ協会の数少ない男性歌手として協会を支え続けてきた久世の意気込みのようなものが役にも反映されており、彼が舞台に現れると舞台は不思議としまって見えた。

レニッケ指揮の九州交響楽団の演奏は終始遅めのテンポで、最初はやや違和感があった。しかし、いつの間にかそのテンポにならされてしまった。このテンポが歌の美しさを前面に出すためには必要なことだったと最後には納得させられたのである。

西日本オペラ協会は九州在住の声楽家が中心になって公演を行っている。常設のオペラ団ではないので公演の機会もそれほど恵まれていない。またそこにはスーパースターがいるわけでもないし、スーパースターを呼んで公演を打つわけでもない。しかし、それでも、十分にオペラの魅力を堪能することが出来た。それは絶対にDVDやCDでは味わえない世界である。管弦楽の生演奏で、舞台進行の中で、生の鍛錬し尽くされた声を聴く、その魅力である。機会があれば、また、ぜひ聴きに来たい。

オペラを西洋という限られた空間の、18世紀19世紀という限られた時代の芸術だとする考え方はオペラのことを何も知らぬ人の言うセリフだ。これほどのすばらしい芸術を西洋のものだけにしておくのはもったいないし、過去のものにしてしまうのももったいない。今回の「コシ・ファン・トゥッテ」を聴く限り、西日本オペラ協会には十分にオペラの魅力を多能させてくれる力があるので、少なくとも年2回程度は、管弦楽伴奏付きで西日本オペラ協会のような地元オペラ団の公演がたのしめるように都市に福岡がなってほしい。そのことを切に願う。