愛知県美術館で開催中(2007/09/07 – 11/04)の「サイクルとリサイクル」展を見た。

この展覧会のコンセプトについては美術館のホームページを参照してもらうこととして、このユニークな展覧会についての感想をメモ的に述べる。

私の知らない若手の美術家ばかりの作品をあつめたこの展覧会はとてつもなく「おもしろい」ものであった。一人一人の美術家が大きな空間を与えられてそこで自分なりのミクロコスモスを創造している。リサイクル(資源の再利用)を作品制作の手段にしている作品もあり、自然のサイクルをテーマにしている作品もあり、コンセプトへの関わり方も様々である。

竹村京の作品は部屋や市街地が描かれた絵の前に半透明の薄い布がかかっている。その布にさらに絵を描き足していたり、刺繍をしたり、刺繍の糸で割れた食器やこわれた人形を包み込んだり縫い込んだりしている。こうすることで絵が重なって見えたり、絵のモチーフが実物として一緒に現れたりする。絵が重なることや、モチーフと実物が一緒に現れることで、そこに時間をリアルに感じることが出来るようになっている。展示室の4面の壁面いっぱいに半透明の布で覆われた絵がある空間のイメージそのもの強烈であった。

渡辺英司の作品は大きな壁面いっぱいに図鑑からの蝶の切り抜きを貼り付けたものである。切り抜いて壁に貼り続けていく作業は気の遠くなる大変な反復作業である。なによりもこのことが見るものを圧倒する。気の遠くなるような反復、まさにサイクルである。

ビーター・ヴュートリヒは本をテーマにして作品をつくる。本のしおりを繋いで巨大な網をつくり、天井からつるす。まるでクモの巣のようでもあるが、素材がしおりであると気付いたときに、その空間が一変する。本の内容がささやき声で聞こえてくるような雰囲気を醸し出している。また、表紙が赤に染められた様々な大きさの本が床にびっしりと並べられ、巨大な舌の形を形成する。なるほど、舌である。その巨大な舌で並べられた本の内容を一括して述べている口の舌である。会場は無音なのであるが、声がいっぱい聞こえてくるような空間である。

手塚愛子の巨大刺繍作品は、いきなり出会うと不気味である。天井からつり下げられた奇妙な物体。そこには毛糸がびっしりと垂れている。その中に入り込むことも出来、毛糸の森を中をさまようことも出来る。ところがこの奇妙な物体を上から見ると、それはなんときれいな模様が描かれた刺繍なのである。その刺繍の糸が垂れ下がって毛糸の森になっていたのである。複数の味わい方がたのしめるこの作品、印象的な体験となった。

大巻伸嗣の作品はなんともメルヒェンチックである。部屋は多くの蛍光灯であかあかと照らされ、その床には色とりどりの花がびっしりと描かれている。そのしてその花の上をあるき回ることが出来るのだ。会期中に花は時々描き足されているみたいで、崩れかけた花ときちんと書かれた花が渾然一体となってお花畑を形成している床はなんとも気持ちが良い。

五感を総動員させられて、いつの間にか体全体で鑑賞してしまっている作品ばかりであった。現代美術鑑賞時の教養主義が心地よく後退してしまって、本当に楽しい時間を過ごした。途中で「サイクルとリサイクル」というテーマにこだわることすら放棄してしまった。