2005年12月14日から21日まで,平成17年度科学研究費補助金(基盤研究C)を得て,「カンボジア伝統影絵劇『スバエク・トム』のメディアアート 的展開に関する実践的研究」のテーマの下,共同研究者の河原一彦九州大学助手と現地調査のためにカンボジアのプノンペンとシェムリアップに出向いた。以下 はその模様を旅行記風に綴ったものである。なお,学術的な報告は別に記述し発表する(『芸術工学研究第5号』九州大学大学院芸術工学研究院紀要,2006 年3月,掲載)。

12月14日(水)

福岡12:00発のTG649で15:50にバンコク着後、TG698に乗り換え、19:30プノンペンに着く。プノンペンは信じられないくらい涼し い(というよりも寒い)。乾期であるにもかかわらず、雨がそぼ降っている。タクシーにてホテルへ。チェックイン後、近くの庶民的な中華料理店で夕食をと る。

21:00ディップ(Deap Kim-San、九州大学大学院総合理工学府修士課程在学中)さんの父親のユーイン・ホワット夫妻とホテルロビーで会う。明日以降の予定について確認す る。

12月15日(木)

この日は曇りで、風も強く、肌寒く、カンボジアにいる気がまったくしない。

午前中は、ガイド通訳のティー氏とホワット氏とともにアプサラ・アーツ・アソシエイション(Apsara Arts Association、通称AAA)を訪ねる。


(AAAの子ども達の練習風景)

AAAのディレクターのチャイ・ソパー(Chhai Sopha)氏の事務所で面談し、その後、隣接するホールでの子供達の舞踊と音楽の練習を、インタビューを行ないながら見学する。その時に楽器について様 々な質問を行なった結果、カンボジア伝統楽器について書かれた貴重な本を頂戴する。UNESCOによって出版された本であり、私の研究にとっては非常に貴 重な本である。

AAAは、もともとは孤児や貧しい子供達の養育支援のための組織である。養育の際に、カンボジアの伝統文化・芸能の様々な技術を子供達の能力・適性に応 じて教えている。子供達の将来を見据えて、経済的自立力、教養、カンボジア人としての誇り、などを身に付けさせようとしているのである。しかしAAAから はプロの踊り手を輩出するなど、内容は本格志向であり、指導も厳しく、子供達の舞踊・音楽のレベルも高いように思われた。フランスへの公演も積極的に行 なっている。

子供達の忍耐力と、行儀の良さと、かわいさに感激する。練習終わりに訪問者の我々にひとりづつ順序よく丁寧に挨拶をしてくれた。ソパー氏は60歳代の男性で、小柄で、温厚な感じで、控えめな物言いの方である。


(ソパー氏/Chhai Sopha)

なお、通訳のティー氏は訪日経験も数回あり、その日本語はかなりうまく、しかしガイド契約であるために通常の通訳料金より安くなっており、かなり「お 得」な感じがする。

この日の昼食は滞在ホテル近くのソリヤ・ショッピングセンターのフードコートで食べる。ソリヤ・ショッピングは2年前にオープンし、カンボジア最初のエ スカレータを備えた施設として地元の人気を集め、その様子は日本のニュース番組でも紹介された。フードコートはセンターの5階6階にあり、タイのフード コートと同じシステムである。ただし食券の代りにカードを購入して、注文の度にそのカードから代金分が引かれていく。我々にはカード精算時に計算機に表れ る数字の意味が理解出来ず、使い方を誤り、追加料金を複数回も払うことになる。結構、味はいける。

午後は、ティー氏とホワット氏とともにソバンナ・プム(Sovanna Phum)へ行く。ここはマン・コサール氏(Mann Kosar)がディレクターをつとめるカンボジア伝統影絵芝居を行なう団体である。NGOとして活動しており、ヨーロッパやオーストラリアから来たスタッ フ数人がコサール氏を助けている。

コサール氏とは10月に東京で催された「アジア・ミーツ・アジア(Asia meets Asia)」で出会っており、旧知の仲である。コサール氏は影絵人形作りや楽器作りを得意にしている。本業の作・演出の活動とともに人形や楽器等の製作物 を販売してソバンナ・プムの活動の足しにしている。


(コサール氏/Mann Kosar)

ソバンナ・プムの特徴は伝統に縛られるばかりではなく、伝統をもとに新しいパフォーマンスアートを創造しようとするところにある。世界各地の様々な劇団 とコラボレーションをしており、つねにカンボジア伝統芸能の新たな可能性を模索している。実は、今回、私のデジタル影絵劇と彼のソバンナ・プムとのコラボ レーションの実現性について探りにきたのである。

彼には私の活動のビデオを提示し、話は大いに盛り上がった。これから具体的なアイデアの交換になる。

ここでスバエク・トムについて書かれた本を購入する。すでに絶版になった貴重な物で、クメール語のオリジナルが英訳されている。

12月16日(金)

この日の午前中はディップさんが紹介してくれたLDOMP (Light Development Organisation for Vulnerable People)を訪ねることになっている。ホワット氏とディップさんの弟、その友達のルイ・ソティーさん(Luy Sothy)が同行してくれる。ソティーさんは日本語を勉強しているということで、通訳として同行してくれた。

LDOMPは親のない子や貧しい子の支援施設で、トムペン・ヴィラクビトウ氏(Tompen Virakvitou)が自力でわずかな政府のサポートを得て経営している。学校教育の代行と伝統芸能による人格教育と行なっている。

(LDOMPの施設とそこで学ぶ子ども達)
(ヴィラクビトウ氏(Tompen Virakvitou)

訪問した我々を、この施設の子供達と、この施設で育ってすでに伝統舞踊を身につけた10代後半の青年男女が整然と並び、拍手をしてくれたのには驚いた。 感激とともに、いささか面映い思いにかられた。

伝統舞踊が我々に次々と披露された。AAAがどちらかと言えば伝統文化・芸能の専門家養成に力を入れているのに対し、LDOMPはあくまでも人格形成の ために伝統芸能を取り入れているように思う。異常な内戦で国土や人民が壊滅的な打撃を受けたカンボジアの人々が、復興の精神的拠り所としているのが自らの 伝統文化・芸能である。このことをAAAやLDOMPの活動を見ると痛いほどに感じることが出来る。

その後、夕方のソバンナ・プムの公演までは、国立博物館、王宮、シルバ-パゴダ、トゥールコンポン市場、などを訪ねる。

夕食後、ソバンナ・プムの公演を見る。出し物はスバエクトーイという小型の影絵劇である。素材は伝統的なものではなく、動物を登場人物に仕立てた寓話的 内容の新作ものである。影絵の人形自体は伝統的なものに近いが、動きはより繊細である。加えて音楽に特徴があり、それは伝統音楽を主体にしているが、フ レーズ反復の多用、モノ音の楽器による模倣、などに従来の伝統音楽にない新鮮味もあり、惹き付けられる。反面、人形師が人形を操りながら台詞を言っている ため、マイクからの距離によって音声の音量が不揃いで、十分に聴き取れない時があるなど、技術的欠陥も目についた。


(sovanna phumの影絵上演)

しかし、いずれにせよ、変に気取ることなく、いわば自然体でありながら、高い芸術性や新しい試みを追求しているグループである。私としてはぜひとも共同 で作品を作りたいと言う思いに強くかられる。

12月17日(土)

アンコール遺跡観光の街シェムリアップに移動する。シェムリアップ航空FT992でプノンペン9:30発、シェムリアップに 10:30に着く。着後タクシーでシェムリアップ中心街にあるホテルへ。

この日は街の探訪と休息と勉強にあてる。私は自転車を借りて街のあちこちを走り回る。プノンペンでもそうであったが、シェムルアップも信じられないくら いの涼しさ。なお、シェムリアップ自体の訪問は5度目であり、昨年の9月に訪れたばかりであるが、あまりの街の変わりように愕然とする。ホテルが何よりも 増えているし、街自体が近代的になってきており、東南アジアの地方都市という感じがまったくしない。

夜、ホテルの向かい側にある「クーレンII」というレストラン・シアターでアプサラダンスを見る。当初、「アンコールビレッジ・シアター」で見る予定 が、ホテルの受付の人に強引に勧められてクーレンIIに予定を変更する。結果は“がっかり”である。踊りそのものはそう悪くはないと思うが、完全に団体客 用の舞台で、ビュッフェ形式の食事や客の多さによって、じっくり鑑賞出来る雰囲気はまるでない。演目も素人受けする者ばかりで、ラーマヤナは行なわれない。次の日のアンコールビレッジ・シアターでの公演を申し込むが、予約は取れず、残念。

12月18日(日)

この日は主にカンボジア初訪問の河原氏のためにアンコール遺跡見学。伝統芸能と関係の深いデバター像やアプサラ像のレリーフを撮りまくる。

午前中にアンコール・トム、タ・プローム、プレ・ループと回り、昼食休憩後アンコールワット、プノンバケンと回る。私は今回で5回目のアンコール遺跡訪 問になる。いつ来てもみても圧倒される。ただ,今年は世界的に異常気象なのか,ここアンコール遺跡の地も涼しい。涼しいアンコール遺跡ははじめての体験で ある。アンコール 遺跡に来ているという実感がない。そのせいか,圧倒のされ方がいつもより控えめである。

なお,アンコールワットに居る時に、思わずゾクッと寒気を感じてしまったところ、案の定、夜に喉が痛みだしてしまった。

12月19日(月)

午前中は河原氏のみバンティアイスレイ観光へ。私は、部屋で寝て、風邪を少しでも治すことに。なんとか持ち直す。

昼食後、今回のカンボジア訪問の最大の目的である大型影絵劇「スバエクトム」の調査を 行う。今回のスバエクトム上演の場所はシェムリアップ市内の中心部国道6号線沿いのお寺の境内で行われる。ティー・チアン一座による上演である。スバエク トムは常時公演を行っておらず,依頼を受けてのみの公演となる。スクリーン設営などの準備の段階から見学をする。ティー・チアン一座を仕切っているのは ティー・チアンの娘婿のティー・チュム氏であり,氏にいろいろと質問をしながらの見学となる。


(スバエクトム会場設営風景)

スバエクトムは5×10メートルの大型のスクリーンに,縦横ともに1メートル以上にも なる大型の影絵人形を映して行われる影絵劇である。語りと伝統楽器のアンサンブルを伴う。題材はラーマヤナ物語。全部上演すると7夜を要するので,その中 の第2夜にあたる部分のみが上演される。上演そのものは日が暮れてからの夕方6時半から。我々の貸し切り公演であったが,地元の人や一般の観光客も集まっ てくる。お祈りから始まり,ココナッツの殻を炊いた灯りで照らされたスクリーンの前後で影絵人形が操り手とともに躍動する様は幻想的であり,想像力を掻きたてる。語りの抑揚も非常に音楽的であり,伝統楽器アンサンブルによる伴奏音楽自体も変化に富んでおり,とにかく飽きさせない。上演中にティー・チュム氏がい ろいろと解説してくれたので(クメール語から日本語への通訳付き),内容がわかりやすかったせいもある。


(左からティー・チュムと語り手のナップ・リン氏)


(スバエクトム上演)

実は昨年にもシェムリアップでもう一つのスバエクトム上演団体ワット・ボー一座の公演を見ている。ティー・チアン一座の方が伝統を守っていると言うこと であったが,たしかにそのようである。しかし,反面,ワット・ボー一座の上演の方が表現がよりダイナミックであり,いわゆる“現代”的であり,一般の観光 客には受けがよいように思われる。

12月20日(火)

この日は最終日。午前中にロリュオスの遺跡に行く。5年前に訪ねたことがあり,その時は観光客をほとんど目にしなかったが,今回はここまで観光客があふ れているのに驚いた。台湾と韓国からの観光客が多い。おそらくシェムリアップへの直行便の存在のせいであろう。

昼食後は,帰国後のことを考えて休養にあてる。2時間のクメール伝統マッサージが疲れを取ってくれた。

夕方,バンコクへ。バンコクで乗り換え翌朝(21日朝)福岡に無事帰る。