<総説風に>

この8月27日から9月3日までラオスを中心に一人旅をした。

旅の動機は次にようなものである。まずは,テレビで見たラオスの古都ルアンパバンの街並みに魅せられたためでもあった。外国人旅行者を積極的に受け入れはじめたラオスを,変に俗化する前に訪ねたいという気持ち(旅行者の身勝手な思い)もあった。それと東南アジアの上座部仏教の寺院と仏像を見て回るという私の旅の長期計画の一端を実現するためでもあった。また,上座部仏教の寺院と仏像は作品づくり(音を重要視した映像作品)のモチーフになっており,ラオス行きはある面では仕事にも関連していた。

今年に入ってからラオスでは反政府のテロが続いているとかで,やや不安があった。タイからの陸路国境越えのルートを予定していたのも,国境で様子をうかがいたいとの気持ちもあった。しかし旅行者にとっては,ビエンチャンやルアンパバンではテロの気配の片りんも感じられなかった。街を歩いていても,危険な感じはまったくしなかった。地元の人々も(表面上は)のんびりしたものであった。 

当初の予定では,ラオス入国と出国を別々の国境で行なうつもりであった(入国=ノーンカーイ→ビエンチャン,出国=ファイサイ→チェンコン)。短期間を有効に旅をするには単純な往復を避けたかったのである。残念ながら,ルアンパバンからフェイサイのフライトに希望の日の出発のものがなかったためにこれを断念することになった(この歳と,限られた日程ではメコン川をボートで行くというのはつらい)。したがってルアンパバンを折り返し点とする往復旅程となった。しかし,復路,ウドンターニやコーンケーンといったタイ東北地方(イサーン)の地方都市を訪ねることが出来た。あまり観光客の訪れないこうした地方都市をのぞき見ることによって,タイの普通の市民生活の一端を感じることできたように思う。

今回のラオス一人旅は,どうしても,半年前に行ったミャンマー一人旅と比較になってしまう。また,往路復路ともにタイを経由したので,タイとの比較にもなってしまう。

なお,タイとラオスの主要民族はともにタイ・ラオ族ということでほとんど同じであり,言葉もよく似ている。歴史も基本的に共有している。人の顔立ち,自然の風景,農村のたたずまい,などはタイ(特に東北地方)とそっくりである。ただし,都市の様相はタイとラオスでは全然異なる。

タイとの比較で言えば,ラオスでは道路等のインフラ整備がまだまだ整っていない。そのことと関連して,首都のビエンチャンでも「都市」のにおいがしない。市場はあるがデパートや商店街(つまり繁華街)と言えるようなものもない。村がそのまま膨張しただけという感じがする。ビエンチャンは人口40万というが,人口10万のタイ東北部の都市ウドンターニーの方がはるかに大都市の風格があり,にぎやかである。私はビエンチャンに「鶏がかけまわる首都」というニックネームをつけた。 

 人々はおとなしく,控えめだ。ラオスの人々から話しかけてくることはほとんどない。市場でも売り込みの声をほとんど聞かない。けっして無愛想というわけではないが,関わりを持つことを避けている感じさえする。半年前に行ったミャンマーでは,道で出会う人々でも旅行者にも積極的に声をかけてくるし,観光地へ行くとみやげ物売りが結構しつこくて困るほどであった。またホテルやレストランではそこの主人や従業員ともと親しく話すことができた。ラオスではほとんどそうしたことがなかった。これは,民族としての性質なのか,あるいは市民と外国人との接触をきらっている社会主義政府の政策の反映なのか。私には,その両方に要因があるように感じられた。

いずれにせよ,ラオスはまだあまり観光化されておらず,その素朴な味わいがラオスの「売り」であろう。ルアンパバンで出会った日本の若者は「見るものは何もありませんよ」と言っていたが,それはないよ。たしかにど派手で巨大なものはない。そういうものにしか価値を見いだせなかったらラオスには来るな,と言いたい。私には寺院を中心に見るものはいっぱいあった。ラオスの仏教建築にはミャンマーやタイのもののようにこれ見よがしのアクの強さがなく,自然の中に溶け込んでいる清潔感のようなものを感じて,居心地のよいものがあった。

ただ,少し意外であったのは,仏教寺院へのお参りの人の姿の少なかったこと。その理由の一つには外国人観光客が訪れる寺院と地元の人が訪れる寺院とを分離させているからであろう。ビエンチャンの有名寺院などは博物館化されていて,信仰の場ではないかのようであった。ミャンマーでは有名寺院ほど地元の参拝客でにぎわっていたし,いろいろな場所で祈っている人の姿を見た。仏教信仰の力が衰退しているのであろうか。(ルアンパバンの僧たちへの托鉢の伝統などがきちんと生きていることを思えば,仏教信仰が衰退しているとは思えないのであるが,実際のところどうなのであろうか。)

前回のミャンマー旅行記には「美人」についての記述が多く,「あなたは女性ばかりを見ていたのか」と読んだ人から冷やかされた。もちろん

そうしていたわけではなく,目についたということだ。しかし,今回のラオス旅行記では「美人」の文字はない。つまり美人があまり目につかなかったのである。ラオスの人々と民族的に深い関係にあるタイ東北地方の人々も美人が少ないと言われている。しかし,ラオスの女性と較べるとタイの女性は化粧やファッションがそれなりに洗練されていることがあらためてよくわかる(つまり化粧やファッションでごまかしていることがよくわかる)。まあ,この美人云々は私の主観にしか過ぎませんので,これを読んで不快に思われた方,悪しからず。

さて,今の旅で初めて経験したことがある。それはインターネットのホームページを通しての電子メールのやり取りである。ホットメールと言い,契約プロバイダによらず,インターネット環境さえあれば電子メールのやり取りが出来るシステムである。ビエンチャンでもルアンパバンでも日本語可能のインターネットカフェがあり,そこで,安い料金で,日本語の電子メールが可能なのである。私はツレアイにほぼ毎日,日記代りにメール送っていた。また,日本のメールアドレスに届いているメールも見ることが出来,気になっている仕事上の連絡も滞らせずに行なえ,却って仕事のことを気にせずに旅が出来た。

帰国後の反省めいたものとして,ラオスではもっと時間を無駄に過ごすべきだった,と言う思いがある。観光コースのようなものがないのだから,もっと気ままに歩けばよかったと思う。何もしない日があってもよいではないか。どうしても旅行案内書に書いてあるところを次から次へと一通り見て回らなければ損したような気分になってしまう。時間に追われている日本人の貧乏性の典型である自分を反省。まあ,経験を積んでいくと,そういうことは是正されていくでのであろう。

<日記風に>

8月27日(日)

シンガポール航空SQ973便で関西空港からバンコクへ。そこからタイ航空国内便TG018でバンコクからウドンターニへ。そこから小型のリムジンバスでノーンカーイへ。今回の旅行では,タイ到着の最初の夜だけホテルを予約しておいた。このことを随分迷ったが,結果は正解。やはり夜遅く見知らぬ町に着いてホテルを探すのは大変なこと。特に,ノーンカーイは国境の町という特徴のみで,まったくの田舎町。雨期で雨がきつかったし,あまり街灯りのないこの街で夜遅くのホテル探しは大変だったろう。
リムジンバスの中で若いタイ人女性を連れた日本人中年男性と一緒になる。ああ,実際にこういう人がいるのだ,と妙に感心する。向こうは照れくさいのか,私をまったく無視している。


8月28日(月)

ホテルはメコン川沿いにある高級ホテル。ホテルの部屋からメコン川が見える。この川はタイとラオスの国境であり,対岸はラオスだ。タイとラオスとを結ぶ友好橋も見える。
メコンは雨期で水かさが増えている。それほどきれいな眺めというわけではない。ただ,東南アジア有数の大河であり,東南アジアの歴史と現代の生活文化に深く関わっている

メコンを目の当たりにするのは,やはり感慨深いものがある。また,地続きの国境というものを持たない日本人にとっては,こうした国境を眺めることや国境を越えることも外国での旅のたのしみのひとつである。

午前中,ノーンカーイの街の東のはずれにあるワット・ケークを訪ねる。この寺院はバラモン僧ルアンプーによって1975年につくられた。まだ新しいものである。ヒンズー教と仏教の混淆したなんとも不可思議な寺院である。特色は広大な境内の緑の中に所狭しと並べられた数多くの奇妙な像にある。インド神話や仏教説話をモチーフにしているのであろうが,像の造形はもちろんのこと,その表情やしぐさがユニークで,見ていて飽きない。場合によっては寓話的な内容を具体的に提示している像もあり,愛しあう男女の姿とその男女の骸骨姿が隣り合って並べられたりしている。像の展示全体を私は一種の現代美術としてたのしんだ。欧米の現代美術もよいが,こうしたものも現代美術としてもっと評価すべきではないか。

  

 

昼食後,メコン川の国境を越えてラオスに入る。越境の手続きはタイ出国・ラオス入国ともいたってスムーズ。友好橋の手前がタイのイミグレーション。友好橋をわたったところがラオスのイミグレーション。ラオスビザも30ドルで簡単に取得できる。

  

友好橋からビエンチャン市内まで乗り合いのトゥクトゥクで行く。途中で激しいスコールに遭う。タラート・サオ(モーニング・マーケット)でトゥクトゥクを降り,雨宿りの兼ねてタラート・サオの中を散策する。タラート・サオはビエンチャンでの一番大きな市場であり,普通の大都市のデパートに相当する。衣料・電気製品・雑貨と品物は意外に豊富である。しかし,活気がない。外国人旅行者も結構いるのだが,店員がほとんど声をかけてこない。よく言えば控えめ,悪く言えばやる気がない。(閑散とした感じのタラートサオ。デパートに相当する。中はもう少しにぎやかです。) 

雨が小止みになるのを待ってホテルに行く。事前に旅行案内書で調べたところに飛び込む。立地,設備ともに予想以上によいホテルである(1泊わずか18ドルでバス,トイレ,エアコン,映像放送テレビつき)。

さて,そのビエンチャンの街だが,これが一国の首都かと思うほど鄙びている。道路の通行量もいたって少ない。何しろ鶏が街の中を歩き回っているのである。中心街でも,いわゆる店らしい店がほとんど見当たらない。ラオス観光年ということで,レストランを目にはするが,いずれも地味な店構え。道行く市民の数も少ない。市民もおとなしい。ラオスについての旅行記等で「何もない国,何もない街」という記述を頻繁に目にしたが,まったくその通りである。

午後から夕方にかけて,とにかくビエンチャンの街をあてどもなく歩き回る。道がぬかるんでいて足もとが泥だらけ。洗練とは縁遠い街。しかし不思議な懐かしさを感じさせる。

夜食としてメコン川沿いの屋外レストランでタムマークフンという激辛のパパイヤスパイシーサラダを食べる。「辛くていいのか」と聞くから,「辛いのが大好きなんだ」と応えると,本当に辛い。しかし,ビヤラーオ(ラオスビール)を飲みながら,キャベツで巻いて食べるタムマークフンはうまい。やみつきになりそう。

8月29日(火)

ホテルで自転車を借りる。これで,ビエンチャンの観光名所を一通り訪ねて回ることにする。雨期で比較的すずしい。ただし,太陽が照った時の暑さは格別。この日の午前中がまさしくそうであった。

 

まず,ビエンチャンの凱旋門パトゥーサイ(アーヌサワリー)へ。やはり一番上のテラスからの眺めはすばらしい。結構ラオス人の旅行者が多い。近くに中学校(高校?)があり,女学生がスカートの代りにシンと呼ばれる民族衣装の制服を着ている。私にとってはめずらしいので撮らせてもらう。

 次にタートルアンに行く。ラオスのシンボル的仏塔である。黄金色に輝くなかなか美しい仏塔である。しかし,地元の人の参拝の人の姿をほとんど見ることがなく,全体的に何か空虚な感じがする。
 それから,ワット・シームアン,ワット・ホー・パケオ,ワット・シーサケオと回る。ワット・シームアンは多くの地元の人の参拝客でにぎわっている。僧侶に何事かを相談している人々の姿を寺院のあちらこちらで見かける。旅行案内書に載っているような寺院の中で地元の人の参拝客でにぎわっているのは,ビエンチャンではじつはこのワット・シームアンだけである。他は半ば博物館と化している。いるのは外国人旅行者ばかりである。ミャンマーなどでは,外国人旅行者がよく訪れる寺院であっても,つねに地元の参拝客でにぎわっている。同じ上座部仏教の国であっても,政府の宗教政策や,人々の信仰の形態がかなり異なるようだ。
他にタートダム(黒塔)を見る。

以上が旅行案内書的なビエンチャンの見どころとなる。つまり,それ以上は何もないということになるのか。たしかに,パックツアー的な感覚で言えば,以上の見どころしかなく,あとは夕日のメコン川くらいであろう。

夕方,そのメコン川の堤防の上にしつらえられた屋外レストランで食事をする。夕陽を見る。夕陽を眺めるなんて何年ぶりだろう。このメコン川沿いの屋外レストラン街にはやはり外国人観光客が多い。日本の若い人たちも多い(それも意外とカップルが多い)。その観光客目当てに物乞いの子どもたちがテーブルのそばまでやって来て,合掌して手を差し出す。しつこいことはない。無視していればすぐに去っていく。観光客が大勢やってくれば,こうしたことはどうしても避けられないことなのであろう。
なお,この日,ラオス航空のオフィイスでルアンパバンまでの航空チケットを購入する。頼りない感じの応対で,かつのんびりした手作業で,きちんと発券されているのか不安になる。なお残念なことに,ルアンパバンからファイサイまでの金曜日のフライトがなく,当初の旅行予定の変更が必要になる。当初は,バンコク→ノーンカーイ→ビエンチャン→ルアンパバン→ファイサイ→チェンコン→メーサーイ→チェンライ→バンコクと,言わばタイラオス一周計画。それをルアンパバンを折り返し点とする往復計画に変更する。

8月30日(水)

ルアンパバンのフライトまでの空き時間を,タラートサオ,タラートクアディン,バスターミナルで過ごす。人のたくさんいそうなところを訪ねたわけである。活気を感じたかったのである。

さすが,市場とターミナルは活気がある。少しよそいきの雰囲気のあるタラートサオに較べてタラートクアディンは地元の人のための市場。バスターミナルもそれなりに混雑している。ただ,ラオスの人は総体的におとなしい。市場にしてもターミナルにしても,落ち着いた混沌という感じ。

昼過ぎにビエンチャンのワッタイ空港へ。これもこれが首都の国際空港かと思うほど小規模な空港。こういうのは大好きですね。
ルアンパバンへの機体がATR-72型で,日本の外務省から注意喚起が出ていた機体ではなくてホッとする。上空から見るラオスはまさしく山と森の国。豊かな山の自然がたっぷりと残っている。

ルアンパバンの空港で,一人旅の日本人の男性(60歳くらい?)から声をかけられる。あまりしっかりとした下調べをせずに来たようで,不安なのか,しきりに同行を求められる。こちらは折角の一人旅をたのしんでいるのに,それだけは勘弁願いたいという心境。知らない国に来て心細いのはわかるが,最低限の旅の自己責任というものがあると思う。むげに同行をことわるわけにもいかず,ホテル探しを一緒にすることに。

空港から市内に入ってみて,ルアンパバンのあまりの田舎ぶりに驚く。でこぼこの土の道路に,わらぶき屋根の古びた木造家屋が並んでいて,鶏が走り回っている。街全体が世界遺産に指定されているということで,もっと洗練された観光都市をイメージしていたのだけれど‥‥。まあ,まったくの「村」です。だからと言ってがっかりしたわけでは全然ない。むしろホッとした。変に観光化していないと感じられたからである。(写真はルアンパバンの一番の目抜き通りです。)

なお,私が同行させられた例の男性は私が泊まりたいホテルが気に入らなくて他を探しに行く。助かった思い。あまり突き放すのもかわいそうに思い,たまたま切り抜いて持ってきていた旅行案内書のルアンパバンの地図をあげる。

一部にいかにも観光客用の店が集合しているところがあるものの,ルアンパバンは落ち着いたたたずまいの町(村?)である。ぶらぶらと歩いて,たちまち気に入ってしまう。しずかに歴史を刻んでいるという感じがただよっている。
夕食はカーン川沿いの川魚を中心としたラオス料理店で取る。ラオス料理はおいしい。タイ料理ほど辛くなくて,日本人の口にぴったり。(私は辛いものも大好きであるが。)

8月31日(木)

この日はもっぱらルアンプラバンの寺院巡りをする。前日にこの町の目抜き通りで出会った日本人の若者から「ここは何にもありませんよ。30キロほど離れたところにあるクアンシーの滝に行くべきですよ」と薦められる。歴史・文化を訪ねての旅行であるので,日程に余裕があればともかく,今回は世界文化遺産の寺院の数々を尋ねることに専念する。
小さい町なので徒歩での移動が全然苦にならない。

歩いてみて,この町は「何もない」どころか,たっぷりと見るべきものがある。旅行案内書に出ているような名所(ワット・シェントーン,王宮博物館,プーシー,ワット・マイ,ワット・ビスン,ワット・タートルアン)だけでなく,道端の小さな寺院にも見ごたえのあるものが多い。

 

 

意外な発見だったのはワット・シェントーンの祠の外壁のピンク地のモザイク画。カラフルで,かわいく,品がある。

全般的にラオス様式の寺院建築は威圧感がなく,やわらかく繊細な感じ。
寺院にはあまり地元の人の姿はない。日本の若い旅行者の姿もない(ルアンパバンのメインストリートではよく見かけたのに)。折角ルアンパバンに来たならば,寺院の中で静かに仏像と向かい合ってほしいと思う。

昼食にカオソーイを食べる。これはこの地方独自の麺料理。麺の上に味噌のようなものが乗っている。そして必ず香菜を中心とした野菜のお皿が添えられて出てくる。この野菜を適当に麺の上に乗せて食べる。これはやみつきになるおいしさ。午後にもおやつ代りに食べる。

夜,宿泊しているホテルの中庭でラオスの民族舞踊が演じられる。観光用であまりやる気のなさそうな踊りであったが,予期していなかっただけに見ることのできたのは儲けもの。楽器編成と踊りのしぐさは東南アジア全域に共通するもので,「ASEAN(アセアン)」というものの結びつきというのは我々日本人が考えている以上に強固なものではないか,などと思考が飛躍する。

 

9月1日(金)

早く起きて僧の托鉢の様子を見ようと思っていたのだが,大変な雨でそれを断念する。ホテルの部屋の窓越しに傘をさして托鉢の行列をなしている僧たちの姿を拝む。

 ルアンパバンからビエンチャンへ飛行機で戻る。その機体がなんと日本の外務省の注意喚起の対象のもの。約40人乗りのプロペラ機。まさか落ちることはあるまいと乗り込む。しかし,動きだして,白い煙が機内に吹き出して充満し,天井から水滴がポタポタと落ちる様子を見ると,さすが不安になる。ステュアーデスは落ち着いたもので,ティシュペーパーで平然と水滴の出所を押さえている。まあ,無事に着いたからよい経験ですんだものの,後で振り返ってみれば,実際,おそろしい。
ビエンチャンのワッタイ空港からタイ・ラオスのイミグレーションのある友好橋に行く。途中,みやげものを買うためにタラートサオに寄る。ラオスの通貨キップは額が大きい(1kip=0.014円)ため,実際は安いものでも額だけ聞くと高く感じてしまい,結果としてあまりお金を使っていない。そこで余ったキップでみやげものを買う。

来た時とは逆に,メコン川をラオスからタイのノーンカイへ渡る。

ラオスを見てきた目には,タイは,実に豊かで,近代的に見える。(このことは,この後ウドンターニー,コーンケーンと大きな都市に行くほど実感する。)

ノーンカーイのバスターミナルから普通バスでウドンターニへ。1時間ほどの距離。言葉が通じなくても移動にはまったく困難を感じない。

ウドンターニはタイの東北地方の中都市。市内には特に見るべきところはなさそう。しかし,観光地ではない,普通の地方都市を無目的にぶらぶら歩くのはたのしい。ラオスとは異なりこうした地方都市にも大きなデパートがある。そこにたむろしている若い人たちを見ていると日本とそう変わらない。若い女の子は厚底サンダルを履いていて,最新のファッションをたのしんでいる。高校生らしいカップルの姿も見える。ラオスと較べるとここはまったくの現代社会だ。
夜はそのデパートの中のレストランで大好物のタイスキを食べる。

なお,わずか2000円ほどで設備がきわめて良好できれいな中級ホテル(私にとっては高級ホテル)に泊まることが出来る。

9月3日

ターニから普通バスでコーンケーンへ。2時間ほどの距離。ウドンターニよりも大きい。東北地方北部の中心都市だ。大学町として有名らしい。道路も広く,整然とした街並み。ビエンチャンとは大きな違い。この町の方が首都のようだ。街の中心部はかなりの活気。ここも観光名所のようなものはない。しかし,タイ語がもし出来れば,長く滞在すればおもしろそうな街。

デパートでコンピュータフェアのようなものをやっており,立錐の余地もないほどの大変なにぎわい。タイの人々のコンピュータに対する関心もやはり高い。

午後遅く,街外れにある国立博物館に行く。東北地方にあるクメール様式の遺跡関連の展示が中心。これを見ていると改めてカンボジアのアンコールワットへ行きたくなる。

旅行に出て1週間。これまでの強行軍で疲れがピーク。夕方からはホテルでうとうと。そのホテルの宿泊費はわずか2700円ほどで,高級ホテル。バックパックを持って入るのがためらわれる雰囲気であった。

9月3日(日)

この日は移動のみ。コーンケーンから飛行機(TG43)でバンコクへ。バンコクで4時間の待ち時間,そこからシンガポールへ(SQ879)。シンガポールで4時間の待ち時間,そこから関空へ(SQ986)。計8時間の待ち時間はまったくの余分。旅の疲れが倍加する。値段の安さを優先したため,こういうハメに。これは今後への教訓だ。
翌朝,午前7時,無事,関空着。